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スズキハスラーTS50 多分7型
ヤフーオークション 出品を見つける。これ
私の最初に乗ったのが、1986年の7月スズキハスラーの8型だった。タンク色のパターンとタコメータの有無だけでほとんど変わらない、7型。
当時3万8千円で購入した。それからもう22年か。。
最初乗るつもりもなかったのだが、自転車屋のおじさんがちょうどいいからどう?で、乗り始める。自転車屋のおじさんというのは、自動車部品の卸売り業をしていたウチのオヤジに、店を出す時に大分お世話になったから、とオヤジが死んでからも、私に良くして頂いた。
死んだオヤジというのは、営業車のパブリカトラックかCB72かで、よく野山を駆け巡ってるようなお気楽な人だった。残った遺品といのは、中国の歴史書ばかりが山となっていた。

正義感の強い人だったが、その正義感があだとなって事故死したようにしか思えない。だから、私は正義を口にするのが嫌いだ。
そんな背景があって、ハスラーの中古がほとんど下取りと整備料だけで私のところにきた。名古屋できっちり修行した自転車屋兼バイク屋のおじさんがよくまあ、この値段で出してくれたものだと。
近所に二つ上の従兄弟が浪人していて、スズキのランディーに乗っていたり、ポンコツのハスラーを持っていて、ウチに置いて置くと怒られるから、私のものだと言う事にしてくれと、まったく同じハスラーがあった。というわけで何故か2台のハスラーがあった。
従兄弟のオヤジ(伯父)は小学校の校長だが、私はこのオヤジ好きでない。なんとなく自分さえ良ければいいような考え方をしている。
何か発言するのは、「校長だから世間体的にこうだ」というのが見え見えで、心で発言する人でない。だから私は尊敬もしていないし、「職業:校長」という風に思っていた。
なので、従兄弟も相当性格が悪い。最悪な部類だ。しかし、その悪い性格があって、バイクで繋がっているので不思議だ。最初にバイクを私に教えたのは、従兄弟だったりする。
ランディーに乗っていては不憫なので、ヤマハのMRという原付オフロードを見つけてきて、従兄弟の為に代わりに買って従兄弟に渡した。ちょっとした恩返しみたいなものだ。
ハスラーが来た晩は、好奇心が先に立って走りだした。
高速の側道を夜中に走って、初めてガソリンスタンドでガソリンを入れた。
「すみません、ガソリン入れてください」とスタンドの人に言う。
「は?ハイオクですか?」と言われた。今から考えてみれば、スタンドに来たのだから、灯油を入れるわけない。変なことを言ったものだが、最初なので緊張した。
キーホルダーの鈴がりんりんと鳴って、ハスラーで側道を走ったのをなんとなく憶えている。
それからハスラーが来て、なんとなく照れくさいのでしばらく自転車で走っていたが、坂の多い町なのでハスラーで楽をする。自分の労力でなく坂を上れるのはこんなにありがたいことかと思った。
バイクに乗り始めたのは、そんなのがきっかけでバイクに憧れて居た訳でもなんでもない。
しかし私は、カワサキのバイクが欲しかったのであまり大切に乗ってはいなかったと思う。気に入るものは大切にするが気に入らないものは、壊すかすてる。人間なので仕方ない。
それでもハスラーではよくツーリングの真似ごとなどを良くやった。
最初は、でかい国道に入るとビビっていた。自転車しか乗ったことのない人が、クルマと一緒にいいスピードで流れると最初ビビル。そんなの私だけか?(笑)
ある時、土曜日の午後国道17号を南に走らせ、「ずっとこのまま走っていたいなあ」と利根川に沿いながら走っていた事があった。
それが、今日の分岐点になった。

それから「バイクって面白いじゃないか」と思った。
しばらくして、あれはその年の晩秋だったか、中学の頃の同級生がウチにヒョッコリ遊びにきた。級長をやって頭の良い女の子だったが、どこか平凡だった。(それで宇都宮大で留まってしまった子だった。)
「バイクに乗ってるとか聞いたら来てみたの」という。
「はぁ?バイクに興味あるとは思えないけど、まあいいや乗ってみる?」というと、近所ののっぱらみたいな所で、後ろに乗せて走ってみると、目を丸くしていたが無口だった。
「あれだな、カオリ(仮名)もうちょっとおっぱいでかいと後ろに乗せて楽しいのだが」というと。。
「ばーーーか」という。
「自由でいいわよね」とぽつりとカオリが言った。
・・・なるようにしかなっていないので、私としては自由だと思わないが、変なことを言われるものだなと思った。
1987年、当時の最新鋭の原付NS50Fに乗っている友達とある峠に行ったとき、「古いバイクも面白そうだな」といので、これはちょうどいいと、NS50Fと交換して少し乗る事にした。
私としては願ったり叶ったりで、ここぞとばかりに夏休みに新潟の柿崎までツーリングに行った。50といえど当時の最新鋭に乗るのはとても気分がいい。50だというのにイッパシのライダーになったような錯覚を起こした。
全てが輝いて見えるのは不思議だった。同じ原付、同じ二つしかない車輪。それまであまり誇らしいようなことは自分には無かったが、とても自分が誇らしく思えた。17の頃はシンプルでいい。
全ての事が全て上手く行くんじゃないか?と思った。
柿崎の海に行って真っ黒に日焼けしてかえったが、またハスラーになって現実に戻った。短い夢だった。
しかしなあ、新車で買うだけで心境てきには改善されるのだけど、何か物足りないし、素っ気ない。すぐすぐお金で解決してしまうのはまだ早すぎるのではないか?と思う。
このバイクを手放したら、どんな奴にイタズラされて乗られるか?と考えたら自分が乗っていたほうが良いと思った。
(しかし、ARのライムが欲しい。。
と、中古のARが出て乗り換えてしまう。。なんていう気まぐれ。
自転車屋のおじさんが最初に言った事には。
「練習用にちょうど良いよ」
・・・確かにちょうど良かった。)
ツーリングの原型のような事を始めたきっかけは、ハスラーに乗り出してからであろうと。山や林道には事かかない田舎な環境だったので、暇があると林道ばかり走っていた。
自然の中に一人身を置いて、ハスラーに託して走る。ハスラーがいかれたら終わりという状況をたくさん経験する。人馬一体とはこういうことか?と思う。

高校三年の秋、大学は入れればどこでもいいや、と思ってろくに勉強しなかったが、バイクには良く乗って林道を走っていた。
それから帰ったある日、カオリという同級生のウチにスナック菓子を何故か持って行き、進路について話をした。
「カオリはどうするんだ?」などと言うが。。
「あなたは、東京に出てしまうの?」と言う。
東京の大学出たら金が掛かってどうしようもないから、高崎鶏(ケイ)済に行ってバイトしながらなんとか卒業するという。
「ふ〜ん」と言われるが。。
「あなたでいいや。」と急に言われる。
「何が??」と聞き直すと、
「結婚よ」
「はあ?!っていうかまだ俺18歳だけど」
「ばかねえ、大学卒業して3〜4年の話。どうせ性格そのまんま気まぐれに生きてそうだから私でいいじゃない?」
「ちょうどいいってことか わはは。っていうか、何もした事ないし、おっぱいがないし」
「ばか!真剣に考えるのよ、こんな田舎町出るには一人で出来ないでしょ!?」
「・・・カオリ頭いいなあ、尊敬した」
女っていうのは現実的な事を考えるものだなあ、と感心してハスラーで走り去った18歳の晩秋であった。
それから20年か。。
今から思うと、あのまま言う通りにして結婚の一つでもしておけば良かったかなあ、と。別に性格が合わない訳でもなかったし、器量も良かったし、ホント言うと好きだったかも知れない。生活のための結婚だったら、申し分ないといか私にはもったいないような存在だったが、むしろそれなら私でないほうがいい。誰かきみを愛してくれる人と、早めに家族持って普通の家庭を持った方がいい。それの方が幸せだと、いつか直感で思った。
ちょうど、10年前だったが「いつまで待っても現れないから結婚したと」マジマジと言われた事があった。
「ストレートな事いうな」というと、
「あなたにしか、ストレートに言えないでしょ!ばか」と言われる。
今頃は小学生の母親かぁ。微妙だな。
私もこれでも、いろいろやらなくちゃならない事が多くてね。人並みな家庭を持てませんねえ。すみませんねえ。。
バイクはまだあの頃と変わらなくスズキに乗ってますよ。

正義感の強い人だったが、その正義感があだとなって事故死したようにしか思えない。だから、私は正義を口にするのが嫌いだ。
そんな背景があって、ハスラーの中古がほとんど下取りと整備料だけで私のところにきた。名古屋できっちり修行した自転車屋兼バイク屋のおじさんがよくまあ、この値段で出してくれたものだと。
近所に二つ上の従兄弟が浪人していて、スズキのランディーに乗っていたり、ポンコツのハスラーを持っていて、ウチに置いて置くと怒られるから、私のものだと言う事にしてくれと、まったく同じハスラーがあった。というわけで何故か2台のハスラーがあった。
従兄弟のオヤジ(伯父)は小学校の校長だが、私はこのオヤジ好きでない。なんとなく自分さえ良ければいいような考え方をしている。
何か発言するのは、「校長だから世間体的にこうだ」というのが見え見えで、心で発言する人でない。だから私は尊敬もしていないし、「職業:校長」という風に思っていた。
なので、従兄弟も相当性格が悪い。最悪な部類だ。しかし、その悪い性格があって、バイクで繋がっているので不思議だ。最初にバイクを私に教えたのは、従兄弟だったりする。
ランディーに乗っていては不憫なので、ヤマハのMRという原付オフロードを見つけてきて、従兄弟の為に代わりに買って従兄弟に渡した。ちょっとした恩返しみたいなものだ。
ハスラーが来た晩は、好奇心が先に立って走りだした。
高速の側道を夜中に走って、初めてガソリンスタンドでガソリンを入れた。
「すみません、ガソリン入れてください」とスタンドの人に言う。
「は?ハイオクですか?」と言われた。今から考えてみれば、スタンドに来たのだから、灯油を入れるわけない。変なことを言ったものだが、最初なので緊張した。
キーホルダーの鈴がりんりんと鳴って、ハスラーで側道を走ったのをなんとなく憶えている。
それからハスラーが来て、なんとなく照れくさいのでしばらく自転車で走っていたが、坂の多い町なのでハスラーで楽をする。自分の労力でなく坂を上れるのはこんなにありがたいことかと思った。
バイクに乗り始めたのは、そんなのがきっかけでバイクに憧れて居た訳でもなんでもない。
しかし私は、カワサキのバイクが欲しかったのであまり大切に乗ってはいなかったと思う。気に入るものは大切にするが気に入らないものは、壊すかすてる。人間なので仕方ない。
それでもハスラーではよくツーリングの真似ごとなどを良くやった。
最初は、でかい国道に入るとビビっていた。自転車しか乗ったことのない人が、クルマと一緒にいいスピードで流れると最初ビビル。そんなの私だけか?(笑)
ある時、土曜日の午後国道17号を南に走らせ、「ずっとこのまま走っていたいなあ」と利根川に沿いながら走っていた事があった。
それが、今日の分岐点になった。

それから「バイクって面白いじゃないか」と思った。
しばらくして、あれはその年の晩秋だったか、中学の頃の同級生がウチにヒョッコリ遊びにきた。級長をやって頭の良い女の子だったが、どこか平凡だった。(それで宇都宮大で留まってしまった子だった。)
「バイクに乗ってるとか聞いたら来てみたの」という。
「はぁ?バイクに興味あるとは思えないけど、まあいいや乗ってみる?」というと、近所ののっぱらみたいな所で、後ろに乗せて走ってみると、目を丸くしていたが無口だった。
「あれだな、カオリ(仮名)もうちょっとおっぱいでかいと後ろに乗せて楽しいのだが」というと。。
「ばーーーか」という。
「自由でいいわよね」とぽつりとカオリが言った。
・・・なるようにしかなっていないので、私としては自由だと思わないが、変なことを言われるものだなと思った。
1987年、当時の最新鋭の原付NS50Fに乗っている友達とある峠に行ったとき、「古いバイクも面白そうだな」といので、これはちょうどいいと、NS50Fと交換して少し乗る事にした。
私としては願ったり叶ったりで、ここぞとばかりに夏休みに新潟の柿崎までツーリングに行った。50といえど当時の最新鋭に乗るのはとても気分がいい。50だというのにイッパシのライダーになったような錯覚を起こした。
全てが輝いて見えるのは不思議だった。同じ原付、同じ二つしかない車輪。それまであまり誇らしいようなことは自分には無かったが、とても自分が誇らしく思えた。17の頃はシンプルでいい。
全ての事が全て上手く行くんじゃないか?と思った。
柿崎の海に行って真っ黒に日焼けしてかえったが、またハスラーになって現実に戻った。短い夢だった。
しかしなあ、新車で買うだけで心境てきには改善されるのだけど、何か物足りないし、素っ気ない。すぐすぐお金で解決してしまうのはまだ早すぎるのではないか?と思う。
このバイクを手放したら、どんな奴にイタズラされて乗られるか?と考えたら自分が乗っていたほうが良いと思った。
(しかし、ARのライムが欲しい。。
と、中古のARが出て乗り換えてしまう。。なんていう気まぐれ。
自転車屋のおじさんが最初に言った事には。
「練習用にちょうど良いよ」
・・・確かにちょうど良かった。)
ツーリングの原型のような事を始めたきっかけは、ハスラーに乗り出してからであろうと。山や林道には事かかない田舎な環境だったので、暇があると林道ばかり走っていた。
自然の中に一人身を置いて、ハスラーに託して走る。ハスラーがいかれたら終わりという状況をたくさん経験する。人馬一体とはこういうことか?と思う。

高校三年の秋、大学は入れればどこでもいいや、と思ってろくに勉強しなかったが、バイクには良く乗って林道を走っていた。
それから帰ったある日、カオリという同級生のウチにスナック菓子を何故か持って行き、進路について話をした。
「カオリはどうするんだ?」などと言うが。。
「あなたは、東京に出てしまうの?」と言う。
東京の大学出たら金が掛かってどうしようもないから、高崎鶏(ケイ)済に行ってバイトしながらなんとか卒業するという。
「ふ〜ん」と言われるが。。
「あなたでいいや。」と急に言われる。
「何が??」と聞き直すと、
「結婚よ」
「はあ?!っていうかまだ俺18歳だけど」
「ばかねえ、大学卒業して3〜4年の話。どうせ性格そのまんま気まぐれに生きてそうだから私でいいじゃない?」
「ちょうどいいってことか わはは。っていうか、何もした事ないし、おっぱいがないし」
「ばか!真剣に考えるのよ、こんな田舎町出るには一人で出来ないでしょ!?」
「・・・カオリ頭いいなあ、尊敬した」
女っていうのは現実的な事を考えるものだなあ、と感心してハスラーで走り去った18歳の晩秋であった。
それから20年か。。
今から思うと、あのまま言う通りにして結婚の一つでもしておけば良かったかなあ、と。別に性格が合わない訳でもなかったし、器量も良かったし、ホント言うと好きだったかも知れない。生活のための結婚だったら、申し分ないといか私にはもったいないような存在だったが、むしろそれなら私でないほうがいい。誰かきみを愛してくれる人と、早めに家族持って普通の家庭を持った方がいい。それの方が幸せだと、いつか直感で思った。
ちょうど、10年前だったが「いつまで待っても現れないから結婚したと」マジマジと言われた事があった。
「ストレートな事いうな」というと、
「あなたにしか、ストレートに言えないでしょ!ばか」と言われる。
今頃は小学生の母親かぁ。微妙だな。
私もこれでも、いろいろやらなくちゃならない事が多くてね。人並みな家庭を持てませんねえ。すみませんねえ。。
バイクはまだあの頃と変わらなくスズキに乗ってますよ。
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